源流をゆく

2019.03.10

源流をゆく

「源流」
という言葉がある。
辞典を紐解くと、河川の源あるいは物事の始まり、起源、などと書かれている。例えば、天竜川の水源は諏訪湖であり、東海道の起点は東京の日本橋で、今でも道路元標の複製を見ることができる(写真)。

浜響第86回定期のテーマは、「源流をたどる」
これはドイツ音楽の源流の一つとしてベートーヴェンの交響曲を取り上げ、ベートーヴェンの音楽がその後の作曲家たちにいかに多大な影響を与えたか、を改めて考えてみようという試みである。

源流というともう一つ、
「ルーツ」
という言葉も思い浮かべることができよう。
自分の家系図をずうっと昔に遡っていくと、いったいどのような人物にゆきつくのであろうか。という想像は、いかにも楽しい。

我が家にはこんな話が伝わっている。
先祖は、もとは四国にいたが何かの戦で敗れ、浜松まで落ち延びてきて、そのまたさらに奥地に逃げ、そこで集落をつくった。隠れて暮らさなければならなかったため、たとえ正月であっても、表立って派手な飾りはしないのだ、という。

この話が本当かどうかは、はなはだあやしい。
しかし、確かにこの苗字は浜松でも我が家の周囲に集中して多く、現在でも門松やしめ縄のような派手な飾りは行っていない。
また実際に四国に行ってみると、偶然かもしれないが地名や駅名にその名がある。

ひょっとすると、NHKの「ファミリーヒストリー」などが取り上げてくだされば、案外面白い話が出てくるのかもしれないが、我が家系以外の人には、これほどつまらない話もないであろう。

源流をたどる面白さは、ものの成り立ちというものに焦点をあて、想像を豊かに広げられるところにある、といっていい。

浜響第86回定期も間もなく本番。このブログをお読みの方々も、ぜひ源流に思いを馳せてみていただきたい。

(菜の花)